現在2回目も見終わって、好きな場面や気になる場面をかいつまんで見たり、花絮(ハイライト)などを見たりしているのですが、絶対まだ報道されていない映像がある!と思うわ (^^)
やっぱり、DVD特典映像か?(笑)DVDは1話60分か?それとも全60話か?番外編があるのか?・・・絶対なんか+αあるはず。
司幽と神女とか、无异パパの野外アクションシーン?とか・・・カメラ入っているもん!!!司幽と神女、写真のためだけにあれだけの衣装を用意するわけないよね?
さて、2回見て、いろいろ気づいたことや感じたことがあります。
最終話、あの世とこの世の境と思われる虚空間で、沈夜が子供の姿で出てくるのは、たぶん、子供のまま大きくならない小曦のためなのだろう、と思いました。小曦が覚えている沈夜の姿で出てくるのでしょう。
皆が穏やかな顔をして微笑みあっているのを見てホッとしました。
きっとお互いにわだかまりもなくなったんだろうな、と思えてうれしかったです。
雨が降っているのは何か意味があるのでしょうか?
闻人羽が忘川の水を飲むとこの世の全てのことを忘れると言っていたけど、もしかすると雨にあたるとこの世のことを忘れるのかな、沈夜たちのことを忘れないために、沈夜たちを待っているために傘をさしていたのかな・・・などと思っています。
【9/15 追記】中国で生命の原動力が雨に求められたので「霊」という文字には雨の字がつくと 霊魂 - Wikipedia にありました。雨は生命の原動力を象徴していたのかもしれません。
第18話、虚空間で无异が偃甲谢衣と会う場面、とても好きな場面です。
一緒に元の世界へ帰ろう、という无异に、偃甲谢衣は、私は既に人ではなくなったのだよと言い、生死は畏敬すべきことだと諭します。
生死之间极可畏
正是因为如此 为师才想起以人力创造生命
或许待到千万年之后 世人无需再饱尝生死之苦
然而生死如此玄妙
终非人力所能企及
生と死の違いは極めて克服しがたいものだ。
それゆえ、私は人の力で生命を創造しようと考えた。
はるか後の世には、人は生と死に苦しむ必要がなくなるかもしれない。
しかし生と死は、はかりしれないものである。
とうてい人の力が及ばないものである。
无异が偃甲で巴叶を作ろうとしたときに、谢衣が否定するところに通じる考え方ですね。
人は安易に生命を作り出したり、生死にかかわったりすべきではない、と偃甲谢衣は言いたかったのかもしれません。
現在の世の中への警鐘ともとれるように思いました。
結局、偃甲谢衣は本当の谢衣の考え方や哲学なども受け継いでいたのでしょう。
ラストシーン(忘川?の場面)で、谢衣が偃甲谢衣と同じいでたちで出てくるのも、偃甲谢衣こそが本物の谢衣の考え方や哲学、魂魄を持っていたということかもしれません。
偃甲谢衣が偃甲人を否定する、というのがどこか皮肉で、悲しいようにも思えました。
本物の谢衣は流月城で偃甲人や傀儡をつくることに関わっていたのかもしれません。
最終的にはそれは人の力の及ぶものではないと思ったのかもしれません。
自然に逆らうことだと思ったのかもしれません。
きっと、生命は、自然は、畏敬すべきものだと思ったのでしょう。
沈夜と小曦、兄が夜、妹が曦というのも何か象徴的な名前の付け方ですね。
曦には陽光、光という意味があり、特に夜明けの陽光を指すことが多いようです。
主役の4人の名前もですが、古剣奇譚2は名前の付け方にもとても凝っていますね。
竹笋包子号はどうしてあの妖たちが持っているのか、というのも不思議です。
もしかすると、谢衣が下界に来てから、竹笋包子号を作って旅をしていて、あの妖たちと仲良くなって、一緒に旅をしていたのかもしれませんね。
そういう話も見てみたいなぁ。
谢衣側からの古剣奇譚2、みたいな。
流月城のことももっと詳しく知りたいですね。
【2023/10/27】日本語字幕と英文字幕をふまえて、記事と翻訳を加筆、修正、訂正しました。