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【ネタバレ注意!】中華武侠モノのテレビドラマのあらすじ・感想・覚書など

古剑奇谭 2のこと ㉑

霊魂・魂魄のことを調べていて、ふと、気になったことがあります。

偃甲谢衣と谢衣の魂はどうなったのか?・・・です (^_^;)
(魂魄のうち、魄は天に帰らないものなので、除外して考えます)

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第47話で、无异が沈夜に、偃甲谢衣は人間と同じように自分の思考や感情を持ったのだろうか?というようなことをきいていました。

偃甲谢衣は魂を持っていたのか、ということにも通じる気がします。

 

日本でも精魂込めて作った人形やものには魂が宿るといいます。

精魂を込める、という言い方をしますよね。

霊でも魄でもなく、魂と精気を入れるのでしょうね。

 

私は、きっと偃甲谢衣にも魂が宿っていたのではないかと思います。

だって、本物の谢衣が精魂込めて作ったものですから。

 

魂だけ。

魄のほうは、なかったかもしれない。

魂のほうも、胎光と爽霊だけがあって、幽情もなかったかもしれない。

 

人間は必ず喜びや愛情を持つとともに、相対する悲しみや欲望も持っているものです。

それが人間らしさとして現れると思います。

でも、偃甲谢衣にはそれがなかったのかもしれない、と思うのです。

偃甲谢衣は感情の起伏がほとんどないように思いました。

以前にも書きましたが、心魔に侵されないようにするために、七情六欲を抑制されていたように思うのです。

だから、阿阮は偃甲谢衣のことを、冷たい感じがする、と言ったのではないでしょうか。

ただ、无异たちと出会って一緒に行動するようになってから、少しづつ人間らしくなっていったようにも感じました。

f:id:Mitsuki_z:20180915082258j:plain亡くなった偃甲谢衣の魂は、虚空間で、无异に生命の神秘を諭し、印記を返します。
そして、師の意思を継いで、昭明剣を探し出し、流月城を阻止するように言うと、无异を現世に送り返します。

 

 

偃甲谢衣の魂は、もともとは製作者である本物の谢衣の魂だったので、後に、初七=谢衣の魂が虚空間に来たとき、二つの魂は再び1つになったのではないか、と私は思います。そして、やがては輪廻転生のサイクルのなかに戻っていくのではないでしょうか。

 

偃甲谢衣の魂が、なくなったり、別物だったりということは、考えにくいし、そんなかわいそうなことは考えたくないのです。やっぱり、最後には、創造主である本物の谢衣の魂と融合して欲しいな、という私の願望でもあります。

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それにしても、霊も、三魂七魄も、プラス(善)と思えるものと一緒にマイナス(悪)と思えるものが備わっているのはどうしてなのでしょうか。

陰陽の考え方に通じるところがあると思います。

例えば、欲を抑えることで、忍耐を学び、悲しみを経験することで、慈しみの心を持ち、苦しみを経験することで、喜びの心を持つ、というように、どちらか一方では存在しえないものなのかもしれません。

 

魂の成長のためにはきっと両方が必要なのでしょう。

 

なんだかスピ系のブログみたいになってしまいました・・・(^_^;)

 

【9/21追記】夷则がどこかで三魂だか六魄だか七情だか・・・を取られると間もなく死ぬという話をしていました。(詳細後日確認します)だから、六魄が全くない、とか、幽情がない、ということは考えられないのかもしれません・・・(^_^;) やっぱり七情六欲を抑制されている、というカンジなのかも。いやでも、偃甲だから・・・うーん、どうなんでしょ?(^_^;)

 

 

霊魂、魂魄、三魂七魄

古剣奇譚を見ていると、霊魂や魂魄などについてどうしても考えてしまいます。

普段から道観に行ったり、道教の祭事があったり、中国古代神話の物語を見たり聴いたり読んだりしている中国人と違って、フツーの日本人にはなかなか馴染みのないものだと思います。

細かいことは気にせず、単純に物語を楽しめばいいと思うのですが、知らないと「なぜ急にこんな展開が!」とか思うこともしばしばありますので、専門知識はなくても、だいたいこういうことなのね~と知っていた方が物語がより深く理解できるのではないかと思って調べてみました。

 

日本ではあまり一般的ではないけれど、中国やインドでは輪廻転生の物語は多いようです。インドネシアマハーバーラタにも、神様の魂が誰かに入魂したりという話がよく出てきます。

古剣奇譚2の谢衣は司幽の生まれ変わりですし、確か、古剣奇譚1の欧陽少恭は太子長琴の生まれ変わりですよね。

・・・と理解していたんだけど、どうも太子長琴の魂はバラバラになって、いろんな人に入魂しているみたい・・・これも生まれ変わりと言っていいのかな?
百里屠蘇と欧陽少恭には太子長琴の魂が半分づつ入魂しているようです。

太子長琴で検索するとこんな記事が。

こういう話は難しいので、日本語の詳しい記事があるとありがたいです(^^)

百度もはっておきましょう。

baike.baidu.com

 

 

さて、ここからが今日の本題(本日のお勉強)。

主に中国の道教的思想に基づく考え方です。
古剣奇譚もこの道教的思想に基づいた物語だと思います。

 

人間の体を作っている目に見えないものには、というものがあるようです。  参考:霊魂 - Wikipedia  魂魄 - Wikipedia 

 

:神精 人の体の中にある神、内なる神・・・とでもいえばいいのでしょうか。

:精神を司る精気

:肉体を司る精気

 

簡単にまとめるとこんな感じでしょうか?

 

そのうちの魂魄は、三魂七魄、つまり魂が3つ、魄が7つあるとされています。

 

 

三魂:天魂(死後、天に向かう)、地魂(死後、地に向かう)、人魂(死後、墓場に残る)

または、「胎光・爽霊・幽精」「主魂、覺魂、生魂」「元神、陽神、陰神」「天魂、識魂、人魂」

 

七魄:喜び、怒り、哀しみ、懼れ、愛、惡しみ、欲望

または、尸狗、伏矢、雀阴(陰)、容贼(吝賊)、非毒、除秽(陰穢)、臭肺

 

三魂については、百度にある「胎光・爽霊・幽精」が道教の考え方ですし、私的にもしっくりくる気がします。 参考:三魂七魄_百度百科

 

 

胎光:清らかな陽の気、穢れのない気、命の源、母から授かったもの

爽霊:爽やかな陰の気、創造するための気、智慧や能力の源、父から授かったもの

幽精:その他の陰の気、災いや衰えの気、欲望や情欲の源、活力や本質を損なわせるもの

 

私なりにテキトーに訳すとこんなカンジでしょうか。

 

こうして調べてみると、霊魂から、その人の出生などがわかるというのもうなづけますね。

 

七魄は肉体を司るものだから、喜び、怒り、哀しみ、懼れ、愛、惡しみ、欲望、でいいんじゃないかな。

 

魂魄については、沖縄の話でよくあるマブイに似ている気がします。マブイはいくつかあるらしいし、1つぐらい落としてもすぐには死なないらしいので七魄に近いのかも。

 

こういうのは夷则にきいたらわかりそうだな・・・(^_^;)

清和真人とか紫胤真人にきいたら、詳しく教えてくれそうですね。

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【追記】この記事を書き終えてから、こんなのを見つけてしまいました・・・(^_^;)
これ読んでもっと学習しなさい、という紫胤真人からのご教示でしょうか?(^^)

クリックすると古剣奇譚の三魂七魄にとびます。

一夜明けてみたら・・・

一夜明けてみたら突如「古剑奇谭2」の16話以降がVIP会員でないと見れなくなっていました・・・。(公開から2か月・・・かも)

これじゃあ、あの場面がちょっとみたいわ、あそこのセリフを書き起こして翻訳したいわ、とか思ってもできないじゃないか (>_<)

中国系動画サイトは、課金化が進んでいるという話ですが、もう無料では見れなくなっちゃうのでしょうか・・・(T_T)

YouTubeなどにも一部UPされたりしていますが、YOUKUのほうが画像がきれいだからよかったんだけどなぁ・・・。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。 他にも見たいものがたくさんあれば有料会員になるのも考えるけど、今のところないし・・・DVDの発売を待つか・・・。

 

実は現在2つ、気になっているドラマがあります。

1つは张智尧さんが出ている九州缥缈录です。

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予告編がこちらから見れます。

九州缥缈录的秒拍视频 ​​​​

 

もう1つは朝歌

絕世雙驕の小江を演っていた郑国霖さんが出ている・・・はずなんだけど、どこ?

雰囲気が変わってしまってわからないのかなぁ・・・

 

どちらも、機会があったら見たい、ぐらいなので、有料会員になってまでも見ようとは思わないですけどね・・・。

忘川

日本ではあの世とこの世の境にあると言われている川のことを三途の川と言いますが、中国では忘川というのですね。古剣奇譚で初めて知りました(^^)

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古剣奇譚1で百里屠蘇が母親を見るシーンに出てきました。

古剣奇譚では、忘川は、ずっと夜で地上は湿原のようになっていて、天空には魂魄がオーロラのように輝き川のように流れているんですね。

 

一般的な中国神話の世界の忘川(忘川河)はもう少し暗いイメージ。

日本の三途の川に近いイメージですね。

孟婆というおばあさんがいて、孟婆汤というスープを飲むとこの世であった出来事などを忘れ、奈何桥という橋を渡ってあの世に行くのだそうです。

そういえば、「生まれ変わりの村」という本や映画がありましたね・・・(^_^;) 見てないけど。

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古剣奇譚の忘川のほうがきれいでいいなぁ・・・

孟婆じゃなくて谢衣がいてくれたらいいなぁ・・・(笑)

 

 

【2020/5/28追記】三生三世十里桃花に忘川水というものが出てきました。これを飲んで神仙世界のことを忘れてから人間界へ修練に行くようです。

古剑奇谭 2のこと ⑳

現在2回目も見終わって、好きな場面や気になる場面をかいつまんで見たり、花絮(ハイライト)などを見たりしているのですが、絶対まだ報道されていない映像がある!と思うわ (^^)

やっぱり、DVD特典映像か?(笑)DVDは1話60分か?それとも全60話か?番外編があるのか?・・・絶対なんか+αあるはず。

司幽と神女とか、无异パパの野外アクションシーン?とか・・・カメラ入っているもん!!!司幽と神女、写真のためだけにあれだけの衣装を用意するわけないよね?

 

さて、2回見て、いろいろ気づいたことや感じたことがあります。

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最終話、あの世とこの世の境と思われる虚空間で、沈夜が子供の姿で出てくるのは、たぶん、子供のまま大きくならない小曦のためなのだろう、と思いました。小曦が覚えている沈夜の姿で出てくるのでしょう。

皆が穏やかな顔をして微笑みあっているのを見てホッとしました。
きっとお互いにわだかまりもなくなったんだろうな、と思えてうれしかったです。

雨が降っているのは何か意味があるのでしょうか?

闻人羽が忘川の水を飲むとこの世の全てのことを忘れると言っていたけど、もしかすると雨にあたるとこの世のことを忘れるのかな、沈夜たちのことを忘れないために、沈夜たちを待っているために傘をさしていたのかな・・・などと思っています。 

【9/15 追記】中国で生命の原動力が雨に求められたので「霊」という文字には雨の字がつくと 霊魂 - Wikipedia にありました。雨は生命の原動力を象徴していたのかもしれません。

 

第18話、虚空間で无异が偃甲谢衣と会う場面、とても好きな場面です。

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一緒に元の世界へ帰ろう、という无异に、偃甲谢衣は、私は既に人ではなくなったのだよと言い、生死は畏敬すべきことだと諭します。

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生死之间极可畏

正是因为如此 为师才想起以人力创造生命

或许待到千万年之后 世人无需再饱尝生死之苦

然而生死如此玄妙

终非人力所能企及

 

生と死の違いは極めて克服しがたいものだ。

それゆえ、私は人の力で生命を創造しようと考えた。

はるか後の世には、人は生と死に苦しむ必要がなくなるかもしれない。

しかし生と死は、はかりしれないものである。

とうてい人の力が及ばないものである。

 

 

无异が偃甲で巴叶を作ろうとしたときに、谢衣が否定するところに通じる考え方ですね。

 

人は安易に生命を作り出したり、生死にかかわったりすべきではない、と偃甲谢衣は言いたかったのかもしれません。 

現在の世の中への警鐘ともとれるように思いました。

 

結局、偃甲谢衣は本当の谢衣の考え方や哲学なども受け継いでいたのでしょう。

ラストシーン(忘川?の場面)で、谢衣が偃甲谢衣と同じいでたちで出てくるのも、偃甲谢衣こそが本物の谢衣の考え方や哲学、魂魄を持っていたということかもしれません。

 

偃甲谢衣が偃甲人を否定する、というのがどこか皮肉で、悲しいようにも思えました。

本物の谢衣は流月城で偃甲人や傀儡をつくることに関わっていたのかもしれません。

最終的にはそれは人の力の及ぶものではないと思ったのかもしれません。

自然に逆らうことだと思ったのかもしれません。

きっと、生命は、自然は、畏敬すべきものだと思ったのでしょう。

 

谢衣帛書に通じる考え方ですね。 

happyfirst.hatenablog.com

 

 

沈夜と小曦、兄が夜、妹が曦というのも何か象徴的な名前の付け方ですね。

曦には陽光、光という意味があり、特に夜明けの陽光を指すことが多いようです。

主役の4人の名前もですが、古剣奇譚2は名前の付け方にもとても凝っていますね。

 

竹笋包子号はどうしてあの妖たちが持っているのか、というのも不思議です。

gjqt.wangyuan.com

 

もしかすると、谢衣が下界に来てから、竹笋包子号を作って旅をしていて、あの妖たちと仲良くなって、一緒に旅をしていたのかもしれませんね。

そういう話も見てみたいなぁ。

谢衣側からの古剣奇譚2、みたいな。

流月城のことももっと詳しく知りたいですね。

 

 

【2023/10/27】日本語字幕と英文字幕をふまえて、記事と翻訳を加筆、修正、訂正しました。

 

 

古剑奇谭 2のこと ⑲

无异の日常生活リポート \(◎o◎)/!

《古剑奇谭2》乐无异日常生活报导

笑い上戸の无异(^^) コレ、おもしろすぎます(笑)
谢衣や夷则もつられて踊っていたり、神女墓のあのシリアスなシーンで谢衣と无异がお笑いしていたり・・・(^_^;)
そして最後はドーンときて放心状態?无异、躁鬱病か?(笑)ハイテンションではしゃぎすぎて疲れたのかもね・・・(^_^;)

付辛博さん、とってもオチャメな方みたいですね(^^) きっとそういうキャラクターも買われて、无异になったのかもしれませんね。

 

そういえば、古剣奇譚1の方兰生を演じた马天宇さんも、とってもオチャメでユニークな方みたいで、こんな動画がありましたヨ(^^) 兰生はほとんど地で演じていたのかもね。シリアスな場面が多い古剣奇譚1で、兰生にはいつも笑わせてもらいました(^^)
でも、ご本人はお坊ちゃまではなくて、結構苦労人みたいですね。

百里屠苏の李易峰さん、欧阳少恭の乔振宇さん、陵越の陈伟霆さんのファンの方も是非ご覧ください(^^) 紫胤真人の张智尧さんはないの・・・残念 (T_T)

 

无异はこれも笑った\(^o^)/

《古剑奇谭2》严禁酒后上岗

お酒を飲んだ後の仕事は厳禁・・・だそうです(笑)

 

《古剑奇谭2》夏夷则吐槽没有打戏的日子

夷则の剣を使ったアクションシーンはすごくカッコ良かったですネ。
すごく練習したんだろうな、と思う。
李治廷さんは、絕代雙驕の花無缺とか似合いそう(^^)

 

古剑奇谭2:特辑-打水漂

无异の神業\(◎o◎)/! 
夷则も上手い!え?偃甲石だったって?(笑)
何度やってもできなくて「どーして?」って言っている阿阮もかわいい(^^)
俳優さんもスタッフの方も結構みんな真剣になってやっててすごく楽しそうです。

 

古剑奇谭2:特辑-合唱团

撮影の待ち時間とか結構多いと思うのですが、ほんとにみんな仲良く楽しそうにしているので、見ている方もほっこりします(^^)

 

スタッフの方が(監督かも)、みんな家族のようだと言っていたけど、出演者もスタッフもとっても仲が良さそうで、本当に家族みたいですね。むこうのドラマは一定期間それに集中して一気に全話撮るらしいので、ずーっとみんなで一緒にいるから、家族みたいになるんでしょうね。

だから、いい作品が作れるのでしょうね。 

古剑奇谭 2のこと ⑱

引き続き「谢衣が初七に作り替えられたのは10年前か100年前か」についてです(^_^;)

 

結論から言うと、ドラマは10年前、ゲームは100年前、なのですが、では、どうしてドラマでは10年前としたのでしょう。

 

まず、捐毒のことを考えると10年前にしたほうがよかったのだと思います。

もし、谢衣が100年前に捐毒に行こうとしたときに、重傷を負わされ流月城に捕えられ、初七に作り替えられたとすると、谢衣が捐毒に行こうとした理由に気づいた流月城側は、100年前に昭明の破片を手に入れていたのではないでしょうか。もしくは、捐毒を滅ぼしていたのではないでしょうか。

もし、90年間もほっといたとしたら、流月城は相当おマヌケだってことになってしまいますね (^_^;)

もし、100年前に捐毒が滅んでいると、无异は存在しないことになってしまいます。

无异が21歳(?)だとすると、捐毒滅亡は20年前でなくてはなりません。

確か狼王は20年前と言っていた・・・と思う。

无异が捐毒と無関係でもよければ、問題ないのですが、无异が捐毒の大将軍の息子だからこそ、晗光剑を持つ資格があり、禺期も无异を守ってくれるのだから、無関係というわけにはいきませんよね。

 

そして、子供の无异と谢衣がなぜ出会ったか、ということも関係していると思います。

何の意味もなく、谢衣が无异と出会っているとは思えません。

おそらく、谢衣は乐绍成が晗光剑を持っていることを知っていたのでしょう。もしかすると、そのために訪ねて行ったのかもしれません。

そして、それを知った流月城側(明川だったかな?)が、无异に魔気を入れようとした。

无异を守ろうとした谢衣は、彼を助けて偃甲鸟で逃げ、魔気を取り除き、印記を与えます。おそらく谢衣が无异を乐府に無事送り届けたのでしょう。その後、自らは捐毒へ行く途中、沈夜に重傷負わされて捕らわれて、初七に作り替えられてしまう。

その方が物語としては自然だし、より劇的で効果的だと思います。

なーんの意味もなく偃甲谢衣が无异を訪ねていって偃甲鸟を贈るってのは、なんか・・・ね・・・(^_^;)

 

自らの死を覚悟したうえで、无异に昭明の破片のありかを記した印記を与えたということは、本物の谢衣は、无异に昭明を探すことを託したようにも思えます。

 

そして、その印記を見た偃甲谢衣は、自らが偃甲であることと、自らがなすべきことを知り、无异に自分の功力を授け、彼らを守るために犠牲になり、昭明を探し出すことを託したのではないかと思います。

 

おそらく、ゲームではテキトー(笑)でもOKだった設定も、小説やドラマにしてしまうと、細かいところもきちんとしないと、話が上手くつながらなくなってしまったのでしょう。

 

きっと、小説家の方かドラマの脚本家の方が、矛盾点を洗い直し、しっかりと構成しなおしてくれたのでしょう。

 

ま、あまり細かいことは気にせず、ドラマはドラマ、ゲームはゲームとして楽しんだらいいのかもしれません (^_^;)

細かいことが気になってしまう私の悪い癖。私は杉下右京か?(笑)