霊魂・魂魄のことを調べていて、ふと、気になったことがあります。
偃甲谢衣と谢衣の魂はどうなったのか?・・・です (^_^;)
(魂魄のうち、魄は天に帰らないものなので、除外して考えます)
第47話で、无异が沈夜に、偃甲谢衣は人間と同じように自分の思考や感情を持ったのだろうか?というようなことをきいていました。
偃甲谢衣は魂を持っていたのか、ということにも通じる気がします。
日本でも精魂込めて作った人形やものには魂が宿るといいます。
精魂を込める、という言い方をしますよね。
霊でも魄でもなく、魂と精気を入れるのでしょうね。
私は、きっと偃甲谢衣にも魂が宿っていたのではないかと思います。
だって、本物の谢衣が精魂込めて作ったものですから。
魂だけ。
魄のほうは、なかったかもしれない。
魂のほうも、胎光と爽霊だけがあって、幽情もなかったかもしれない。
人間は必ず喜びや愛情を持つとともに、相対する悲しみや欲望も持っているものです。
それが人間らしさとして現れると思います。
でも、偃甲谢衣にはそれがなかったのかもしれない、と思うのです。
偃甲谢衣は感情の起伏がほとんどないように思いました。
以前にも書きましたが、心魔に侵されないようにするために、七情六欲を抑制されていたように思うのです。
だから、阿阮は偃甲谢衣のことを、冷たい感じがする、と言ったのではないでしょうか。
ただ、无异たちと出会って一緒に行動するようになってから、少しづつ人間らしくなっていったようにも感じました。
亡くなった偃甲谢衣の魂は、虚空間で、无异に生命の神秘を諭し、印記を返します。
そして、師の意思を継いで、昭明剣を探し出し、流月城を阻止するように言うと、无异を現世に送り返します。
偃甲谢衣の魂は、もともとは製作者である本物の谢衣の魂だったので、後に、初七=谢衣の魂が虚空間に来たとき、二つの魂は再び1つになったのではないか、と私は思います。そして、やがては輪廻転生のサイクルのなかに戻っていくのではないでしょうか。
偃甲谢衣の魂が、なくなったり、別物だったりということは、考えにくいし、そんなかわいそうなことは考えたくないのです。やっぱり、最後には、創造主である本物の谢衣の魂と融合して欲しいな、という私の願望でもあります。
それにしても、霊も、三魂七魄も、プラス(善)と思えるものと一緒にマイナス(悪)と思えるものが備わっているのはどうしてなのでしょうか。
陰陽の考え方に通じるところがあると思います。
例えば、欲を抑えることで、忍耐を学び、悲しみを経験することで、慈しみの心を持ち、苦しみを経験することで、喜びの心を持つ、というように、どちらか一方では存在しえないものなのかもしれません。
魂の成長のためにはきっと両方が必要なのでしょう。
なんだかスピ系のブログみたいになってしまいました・・・(^_^;)
【9/21追記】夷则がどこかで三魂だか六魄だか七情だか・・・を取られると間もなく死ぬという話をしていました。(詳細後日確認します)だから、六魄が全くない、とか、幽情がない、ということは考えられないのかもしれません・・・(^_^;) やっぱり七情六欲を抑制されている、というカンジなのかも。いやでも、偃甲だから・・・うーん、どうなんでしょ?(^_^;)