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【ネタバレ注意!】中華武侠モノのテレビドラマのあらすじ・感想・覚書など

古剑奇谭 2のこと ⑮

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古剣奇譚弐ロスです。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。

谢衣ロスです。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。

 

というわけで、見直したりしているのですが、テーマ曲のこともあって、また第41話の谢衣最後の場面を100回ぐらい見てしまいました(笑)(ウソです・・・50回ぐらいかな?)

 

後から場面を入れながら、セリフを訳そうと思っていたシーンなのですが、今日いろいろ調べているうちに、ほとんど訳してしまいましたので、古剑奇谭 2のこと ⑫ に加筆をしました。

正邪も善悪も、もう重要じゃない。(略)長安はすぐに第二の広州に変わってしまうぞ。今行けばまだ阻止する時間がある。私の目的は烈山部を救うことで、長安の街を死の街にすることじゃない。おまえが既に谢衣の功力と偃术を受け継いだ。捕らわれの性命なんかいらない。昭明の剣心を持って流月城へ行け!徹底的に心魔を排除しろ!

 

おまえが既に谢衣の功力と偃术を受け継いだ。

捕らわれの性命なんかいらない。

 

このセリフから、初七は既に本物の谢衣を取り戻していたことが、はっきりとわかりました。

※わかりやすく訳すと「おまえが既に谢衣の谢衣の功力と偃术を受け継いでくれた。だから、私はもう捕らわれの性命なんかいらない」というカンジでしょうか。

 

そう思って見ると、やはり谢衣は偃甲谢衣が弟子にした无异を、神女墓での最後の戦いで試していたのかもしれません。最後の試験(試練)ですね。だから、殺気がなかったのでしょう。

そして、无异にならば、昭明剣心と今後のことを託してもいい、と思ったのでしょう。

 

谢衣が傀儡になっても生きながらえていたのは、どんなことをしてでも、心魔を排除し、烈山部を救いたかったからかもしれません。

程師父が、闻人羽に一目会いたかったゆえに、傀儡になっても生きながらえていたことと同じですね。

そして、最後まで自分をなくさなかったことも。

 

程師父も、谢衣も、性命とは、玄妙なもので、簡単に制御できるものではない、と言っていましたね。

无异も、ひとりの人間の気質、経験、考え方はそんな簡単に変わるとは思えない、と言っていました。

 

性命には「命」という意味の他に「生まれながら天から授かった性質と運命」という意味もあります。脚本家が、生命ではなく性命を使ったのは、こういう意図があったのではないか、と思っています。

  

また、おそらく沈夜の苦悩を知った初七(谢衣)は、もう一度反旗を翻すことができなかったのでしょう。それでも、无异たちを殺すことも、長安を死の街にすることもできなかった。だから、自らが犠牲になることを選んだのかもしれません。

 

傀儡にされる以前の谢衣と初七の心を持っていたのが、現在の谢衣だったのでしょう。

 

 

私はドラマを見ているときは、最初の1~2回はほとんど止めないで見ています。

止めてセリフだけを追って見ていると、場面の流れや役者さんの表情や演技などがわからなくなってしまい、物語に入り込めなくなり、感情移入ができなくなってしまうからです。

なので、セリフの意味は100%わかっているわけではなくて、6~7割ぐらいか、もっと少ないかも・・・(^_^;)

それでも、2回目になると、場面とセリフがつながってくるので、そこそこ聞き取れ、内容もかなり理解できます。そして、その後、わからなかった単語などを調べてみることが多いです。

 

谢衣の最後の場面は何度も見ていたので、どうしてもセリフの内容をきちんと知りたくなって、わからない単語など調べながら、今日ほとんど訳してしまいました(^^)

 

ほとんどWeblioなどでいけたんですが・・・

罔罝、という単語がわからなかったんですよね~。

ついに、汉语词典にいきついてしまいました・・・(^_^;)

cd.hwxnet.com

狩猟の網のことのようです。

それで 罔罝性命 = 捕らわれの性命 と訳しました。

 

カッコいい、こなれた会話として訳すと、少し意訳になってしまうので、とりあえず、原語のセリフの意味を重視しつつ、不自然でないような訳にしたつもりです。

 

もし、まちがいなどがありましたら、教えて下さい <(_ _)>