引き続き「谢衣が初七に作り替えられたのは10年前か100年前か」についてです(^_^;)
結論から言うと、ドラマは10年前、ゲームは100年前、なのですが、では、どうしてドラマでは10年前としたのでしょう。
まず、捐毒のことを考えると10年前にしたほうがよかったのだと思います。
もし、谢衣が100年前に捐毒に行こうとしたときに、重傷を負わされ流月城に捕えられ、初七に作り替えられたとすると、谢衣が捐毒に行こうとした理由に気づいた流月城側は、100年前に昭明の破片を手に入れていたのではないでしょうか。もしくは、捐毒を滅ぼしていたのではないでしょうか。
もし、90年間もほっといたとしたら、流月城は相当おマヌケだってことになってしまいますね (^_^;)
もし、100年前に捐毒が滅んでいると、无异は存在しないことになってしまいます。
无异が21歳(?)だとすると、捐毒滅亡は20年前でなくてはなりません。
確か狼王は20年前と言っていた・・・と思う。
无异が捐毒と無関係でもよければ、問題ないのですが、无异が捐毒の大将軍の息子だからこそ、晗光剑を持つ資格があり、禺期も无异を守ってくれるのだから、無関係というわけにはいきませんよね。
そして、子供の无异と谢衣がなぜ出会ったか、ということも関係していると思います。
何の意味もなく、谢衣が无异と出会っているとは思えません。
おそらく、谢衣は乐绍成が晗光剑を持っていることを知っていたのでしょう。もしかすると、そのために訪ねて行ったのかもしれません。
そして、それを知った流月城側(明川だったかな?)が、无异に魔気を入れようとした。
无异を守ろうとした谢衣は、彼を助けて偃甲鸟で逃げ、魔気を取り除き、印記を与えます。おそらく谢衣が无异を乐府に無事送り届けたのでしょう。その後、自らは捐毒へ行く途中、沈夜に重傷負わされて捕らわれて、初七に作り替えられてしまう。
その方が物語としては自然だし、より劇的で効果的だと思います。
なーんの意味もなく偃甲谢衣が无异を訪ねていって偃甲鸟を贈るってのは、なんか・・・ね・・・(^_^;)
自らの死を覚悟したうえで、无异に昭明の破片のありかを記した印記を与えたということは、本物の谢衣は、无异に昭明を探すことを託したようにも思えます。
そして、その印記を見た偃甲谢衣は、自らが偃甲であることと、自らがなすべきことを知り、无异に自分の功力を授け、彼らを守るために犠牲になり、昭明を探し出すことを託したのではないかと思います。
おそらく、ゲームではテキトー(笑)でもOKだった設定も、小説やドラマにしてしまうと、細かいところもきちんとしないと、話が上手くつながらなくなってしまったのでしょう。
きっと、小説家の方かドラマの脚本家の方が、矛盾点を洗い直し、しっかりと構成しなおしてくれたのでしょう。
ま、あまり細かいことは気にせず、ドラマはドラマ、ゲームはゲームとして楽しんだらいいのかもしれません (^_^;)
細かいことが気になってしまう私の悪い癖。私は杉下右京か?(笑)