現在、三生三世十里桃花(邦題:永遠の桃花 -三生三世-)を観ています。
プライムでも豆瓣でも評価が高かったのと、張智堯さんが出ているということで観はじめたのですが、これがとてもおもしろくてハマっております。
神仙世界のラブストーリーです。
張智堯(ケン・チャン)は彼らしいお似合いの役をやっていて安定の演技。
楊冪(ヤン・ミー)は雰囲気の違う3役(正確にいえば5役になるかも)を演じ分けていて、やっぱり上手いです。
そしてなんといっても、趙又廷(マーク・チャオ)の演技がすばらしい。抑えた演技の中でも感情や思いが伝わってきます。彼も似ているけどちがう2役(正確にいえば3役かも)を演じ分けています。いまどきのイケメンタイプではありませんが、ちょっと古風な顔立ちが役にとてもあっています。この方も古装が似合うタイプですね。
さて、このドラマを観ていて、ふと思ったことがあります。
それは「浦島太郎」や「かぐや姫」は神仙世界と人間界を描いたものなのではないかということです。
三生三世十里桃花の物語中では、神仙たちが修練などのために人間界で過ごすことがあるのですが、人間界の1年=神仙世界(天上界)の1日なのだそうです。
このセリフが出てきたとき「だから浦島太郎が玉手箱をあけると年をとっちゃったのね」と思ったのです。
浦島太郎が行った竜宮城というのは、きっと神仙世界の東海なんとかという国あたりなのでしょう。そして浦島太郎は竜宮城で1カ月ぐらい過ごしたのでしょう。そうすると人間界では30年経過していることになります。
人間界に戻ってきたらすっかり様子が変わっていた。そして玉手箱をあけると老人になってしまった。きっと、20歳ぐらいだったのが50歳ぐらいになったのでしょう。
もともと浦島伝説は中国の方から伝わったという話もあるので、中国の神仙世界を描いたお話が日本に伝わって、日本風にアレンジされたものなのかもしれませんね。
また、かぐや姫は神仙世界から人間界へ、修練のためとか罰を与えられてかで来た神仙なのでしょう。
東華帝君のように、人生の苦しみを経験するために人間界へ来たのかもしれません。
東華帝君は本当は白鳳九と愛しあうために、二人の思い出を作るために人間界へ行ったようですが・・・。
ところが、姫の美しさが評判になって、都が大騒ぎになってしまい、これ以上人間界にいるのは混乱のもとになってしまう、ということげお迎えが来たのかもしれません。また、修練の期間が終わったか、罰がゆるされてお迎えが来たのかもしれません。
そういう解釈のお話も確かありましたよね?
そう考えると、私たちがこの人間界でこうして過ごしているのは、修練のためなのかもしれません。
私はもともと人間界に生まれたのは修業のため、何かを経験するため・・・とか思っていたヒトなので・・・(笑)
もしかすると、私たちも修練が終わると天界へ帰って、神仙として再び生活するのかもしれませんね。
おおお\(◎o◎)/!コレ電車の中ですよね?すごい!乗ったらビックリしますね(^^)