快樂至上♪

【ネタバレ注意!】中華武侠モノのテレビドラマのあらすじ・感想・覚書など

古剑奇谭 2のこと ㊳ 第26話より ~謝衣帛書~

第26話に出てくる「謝衣帛書」についてです。

 

帛書(はくしょ):古代中国などで製作された帛と呼ばれた絹布に書かれた書のこと。

前半の歴史や経緯について書かれている部分は、そのまま史実がわかればいいのですが、後半には谢衣の考えが書かれていて「ちゃんと理解したいな~」と思って何度も見ていた部分なので結構こだわっています(笑)。

原文、日本語字幕、英文字幕を比較してみました。

謝衣帛書(後半部分)

 

原文(中文)

我一生心血尽付偃朮
満以为終有一日
能以所谓偃朮超越所谓天道

然而 恰恰因为我試图逆天行事
才給了心魔可乗之机

多年来我時常自间
我所做的一切
究竟是对是错

以凡人渺小之力
试窺浩瀚天道
终究不过是镜中捞花
苍猿捉月

后世能重組通天之器者
必是位出色偃师

同为偃师
我亦明白
究尽天地奥秘 探究偃术极限
及至超越世間一切天道規則
是我们最迫切的願望

只望此书能令后求者
略微感慨天命可畏
切記

日本語字幕

生涯、心血を注いだ偃術が
いわゆる自然の摂理を超越できると信じていた

だが、私が摂理に背こうとしたことで
砺罂に隙を与えてしまった

長年、自問してきた
私のしたことは正しかったのか

小さな力で自然の摂理に挑もうなど
到底 不可能なことだったのではないか

通天の器を再び組み立てるのは
秀でた偃術師だろう

同じ偃術師としてわかる
奥義を極め 偃術の限界を探求し
自然の摂理を超越する
それが我々の願いだ

これを読んだものが
自然に畏敬の念を抱くようー
切に望む

英文字幕

I've devoted my life to Yanjia Skills,
thinking that some day I can conqure the Law of Nature.

However, my wishful thinking to go against the Nature
gave a chance to the Mindslayer Demon.

I keep asking my self for years,
did I do it right,
or wrong?

As a tiny, insignificant human being,
I tried to grasp the secrets of the Nature.

My attempt was like picking a flower in the mirror
or pulling the reflection of the moon in the water.

He who can reassemble the Celestial Device
must be an excellent Yanjia Engineer.

And as a Yanjia Engineer myself,
I know we all long to
exhaust the knowledge of the world and reach the extremes of yanjia skills,
and even to break the rules the Nature imposed on us.

Despite all these strong desire,
I still hope that this book can remind you  to be awe of the Nature.
Remember it.

 

英文字幕の翻訳(by 小蘭)

私は偃術に人生を捧げてきた
いつか自然の摂理を征圧できると思いながら

しかし、自然に逆らう私の甘い考えが
心魔につけいる隙を与えてしまった

何年も自分に問い続けている
私のしたことは正しかったのだろうか
間違っていたのだろうか

ちっぽけな取るに足らないひとりの人間であるにもかかわらず
私は自然の神秘を掴もうとした

私の試みは鏡の中の花を摘むようなものだった
水に映る月を取ろうとするようなものだった(※注1)

セレッシャル・デバイス(通天の装置)を再構築できる者は
優秀な偃術者のはずだ

私自身、偃術者としてわかる
我々(偃術者)は皆、世界中の知識を余すことなく研究尽くし、偃術の奥義に到達し、
さらには自然が我々に課した法則の破壊さえ望むことを

だが、これらの強い願望にもかかわらず、
この書があなたに自然への畏敬の念を思い出させることを私は願う
どうか覚えておいて欲しい

日本語字幕を見ていて微妙に違和感を感じたのは、最後の部分へのつなげ方が不自然だったからかもしれません。

「以凡人渺小之力 试窺浩瀚天道 终究不过是镜中捞花 苍猿捉月」も、日本語字幕では「小さな力で自然の摂理に挑もうなど 到底 不可能なことだったのではないか」と非常にあっさりと訳されていて少し残念。わかりやすくて美しい比喩の部分なので、きちんと訳して欲しかったです。

日本語字幕は随分簡略に訳されているような気がします。字幕だから仕方がないといえば仕方がないのですが・・・。

英文字幕は内容に込められている本来の意味や意図をくみ取り、場合によっては補足した翻訳になっているように思います。

映画なら字幕は字数制限もあると思うのですが、動画配信やDVDは多少文字数が多くなっても、止めて読んだりするから問題ないのではないか、むしろわかりやすく翻訳したほうがいいのではないかと思います。

英文字幕は長いものは止めないと読めないです(笑)

それにしても中国語は、少ない文字数で深い意味や表現が可能な言葉だなあといつも思います。

 

※注1:苍猿捉月(蒼猿捉月)は日本語では「猿猴捉月」という四字熟語にあたるようです。

欲をおこして前後をわきまえず、無謀な行動をとって大失敗すること。身のほど知らずが、その結果身を滅ぼすことのたとえ。

猿猴捉月(えんこうそくげつ)とは? 意味・読み方・使い方 - 四字熟語一覧 - goo辞書

 

 

「通天之器」が英文では「Celestial Device」と訳されていて、なるほど!と思いました。天・異空間、または、天国・桃源郷(のようなところ)へ通じる装置、というカンジでしょうか。

日本語で「器」を「うつわ」と読んでしまうと、皿とかお椀のイメージになってしまうので、せめて「通天の装置」「通天の機器」・・・とかにして欲しかったかな。

以上の翻訳や意味をふまえて、私なりに訳してみました。

 

謝衣帛書(後半部分) 翻訳:小蘭

 

私は偃術に人生を捧げてきた
いつか偃術で自然の摂理を超越できると思いながら

しかし、自然に逆らおうとしたがゆえに
心魔につけいる機会を与えてしまった

何年も自分に問い続けている
私のしたことは正しかったのだろうか
間違っていたのだろうかと

 

定命の人の身でありながら
広大な天地の理を窺い知ろうということは

鏡の中の花を摘もうとするようなものである
水に映る月を取ろうとするようなものである

 

通天の装置を再構築できる者は
すぐれた偃術者のはずだ

私自身、同じ偃術者としてわかる
すぐれた偃術者であれば、この世の知識を余すことなく研究し、
偃術を限界まで極め、自然の摂理さえも超越したいと望むだろうことを

 

この書が後世の者に
自然への畏敬の念を思い起こさせることを願うばかりである
どうか覚えておいて欲しい

原文(中文)で見ていて、意味はだいたいわかっているつもりでしたが、いざ日本語に翻訳するとなると難しいんですよね。

英文のように、最後の文の前に、そうであったとしても、しかしながら、だが・・・という言葉をいれるとわかりやすいのですが、あえて原文にあわせてそのままにしてみました。これならよく読めばわかると思うのですがどうでしょうか。

 

 

謝衣帛書の翻訳した部分からはじまります。

youtu.be

 

youtu.be

 

私が翻訳にこだわるのは谢衣がらみのところばかりですね・・・(笑)